ダンスがもたらす創造的な思考とチャレンジする生き方。インタビュー:ダンサー/インストラクター UEN

最終更新: 2月25日



現役のブレイクダンサーであり、インストラクターとして活躍するUENさん。県内各地でダンスを教えながら、他県のイベントや大会に審査員やゲストダンサーとして招かれるなど多岐にわたり活動している。好きなことを仕事にし、生涯ダンサーでいる。ダンスを通して子供たちに伝えたいこと、オリンピック競技となりさらに広がっていくダンスムーヴメントについてインタビューした。


テレビ越しに本物を観た衝撃。ブレイキン、仲間たちとの出会い


―ダンスを始めたきっかけはなんだったのですか?


UEN:1994年から97年頃、高校生だったんですけどスケートボードとかストリートカルチャーが盛り上がっていました。テレビ番組を通して、ブレイクダンスチームで世界的に有名な「Rock Steady Crew(ロックステディクルー=RSC)」の日本チーム、「Rock Steady Crew Japan」見て衝撃を受けたのがきっかけです。RSCはブレイクダンスのパイオニア的な存在でしたし、日本では「Rock Steady Crew Japan」の影響力は凄かったです。


―ブレイキンを始めて、どういった場所で、どのような練習をしていたんですか?


UEN:当時は今みたいにYouTubeもないですし、とにかく見よう見まねですね。甲府駅で音楽をかけて練習してたんです。そこで山梨学院のダンスサークルの人たちと出会い、意気投合して一緒に「PR」というチームを作ったんです。


―山梨学院の学生たちとダンスでつながり、どんな活動をしたのですか?


UEN:彼らと出会ったことで街中、そして県内と活動するフィールドが広がりました。山梨学院の学園祭でダンスコンテストがあったんですけど、そこで優勝しました。けっこうたくさんダンスチームが出場して、当時の山梨県では比較的大規模なダンスコンテストだったんです。あとはクラブイベントに出たり、今の学生ダンサーたちとあまり変わらないですね。


人はいつ死ぬか分からないから、好きなことをして生きて行く


―今、UENさんはダンスを仕事にしています。早い段階から自身の生き方や進路を決めていたのですか?


UEN:実は大学を卒業して普通に企業に就職したんです。そのときはダンスで食べて行くっていう選択肢はなかったですね。そんなときに、仲の良かったダンサーが不幸にも事故で亡くなってしまって。それがすごい大きな出来事だった。こんなに簡単に人は死んでしまうんだと衝撃を受けました。だったら好きなことをやろうと。就職した仕事をやめ、シアトルへ行きました。


―かなり思い切ったアクションですね。なぜシアトルだったのですか?


UEN:今でも付き合いのある友人のダンサーが、シアトルにいるのでそのツテを頼りました。今でこそダンスは一般に広がってビジネスやマーケットも大きくなっていますが、当時はまだ日本で食べていけるようなイメージは浮かばなかったんです。まずはブレイキンの本場アメリカを見てみようと思いました。


―初めて行ったアメリカ、シアトルの印象はどうでしたか?


UEN:想像していたよりも、そこら中でみんなダンスしてるってわけじゃなかったですね。当たり前ですけど(笑)だけど、コミュニティセンターや、スポーツジムでダンスレッスンが行われていました。


―シアトルではほかに、どんな出会いや体験がありましたか?また、帰国後はどのような仕事に?


UEN:戻ってからは地元のスポーツジムのインストラクターとして働きました。ヨガ講師の資格も取り、そこでダンスやヨガを教える仕事に就いたんです。当時、いろいろなところで“○○アクターズスクール”という、本家沖縄アクターズスクールの出身である安室奈美恵さんの影響で広がった、芸能スクールがたくさんあったんですが、山梨にもあって。そこで教えたり、山梨のテレビ番組のダンス指導だったりをしてましたね。8年勤めたスポーツジムを辞め、独立したときに、もう一度シアトルへ行きました。そのときにダンスで出会った地元のやつらとチームバトルの大会に出てシアトルのかなり大きな大会で優勝しちゃったんです(笑)今思うとかなり運が良かったです。チームを組んだ彼らもかなり踊れる人たちだったので。



―すごい!シアトルで爪痕を残し、独立されてからUENさんはフリーのインストラクターとしてどれくらいスクールを開講しているのですか?


UEN:今でも勤めていたスポーツジムのダンス・ヨガクラスを教えにいきますし、今日のように地域のコミュニティセンターを借りて教えたりしてます。ヨガとダンス両方合わせて毎週15本くらい色々なところでクラスを持っていますね。身体の動かし方や身体の構造、呼吸など、ヨガとダンスの知識を双方に活かせるのは僕の強みかなと思っています。


―いろいろなところでインストラクターをやりつつ、UENさん自身もダンサーとしての活動は続けているんですよね?主な大会での実績も教えてください。


UEN:そうです。クラブイベントでは、チームでショーに出たり。ソロではダンスバトルの大会に出ています。大会の実績としては、当時「DANCE@LIVE(ダンスアライブ)」という日本で最大級の大会の関東大会でベスト4、「UK B-BOY CHAMPIONSHIPS」という世界的な大会の日本代表予選でベスト8などです。本当は優勝したかったですけど(笑)おかげさまで全国でもいい成績を納められまして、今では審査員やゲストダンサーという役割でいろいろな大会に呼ばれることもあります。


ダンスで培ったクリエイティブな感性をヒントに、これからの人生に活かしてほしい


―UENさんがダンスを通じて、子供たちに伝えたいことはありますか?


UEN:今の子供たちは教えたことはすぐにキッチリできます。情報処理能力が高いんでしょうね。小さい頃から膨大なコンテンツに触れている世代ですから。ただ、そこからもう一歩踏み込んでアレンジする、自分で創る、ということが比較的苦手な子供が多いように感じます。ダンスを通じて創造する力を育てたいと思っています。それが将来、ダンスに活かされなくてもいいんです。生きていく上で起きる色々な場面で、ダンスで培ったクリエイティブな感性を活かしてほしいなと思います。僕はその子たちそれぞれが持っている個性や、持ち味を引き出すお手伝いをしてあげたいですね。


―最後に、UENさんの今後実現したいことや展望はありますか?


UEN:2024年、パリオリンピックでブレイキンが公式競技として採用されることが決まっています。ブレイキンはもともと、カウンターカルチャーであるHIPHOPの要素として生まれたものなので、文化的側面から見ると賛否両論ありますが僕自身は、裾野が広がり、競技人口が増えることはいいことだと思っています。僕自身としては生涯ダンスを続けていきますよ。僕のダンスクラスは「UNITY」という名前が付いています。これはHIPHOPを世に広めた創始者の一人とされている、アフリカ・バンバータ(Afrika Bambaataa)の言葉で、「Peace(平和)、Love(愛)、Unity(結束)and Having Fun(楽しむ事)」という言葉から取っているんですよ。ダンスを通じてその精神を学んで成長してくれたらと思います。



「こんにちわー」時間になると、元気な挨拶をしながら年代がバラバラな子供たちが続々とやってきた。「ヤンチャな子もいるんですけど、可愛いんですよね」とUENさんは笑う。時間帯によって、初級、中級と分けられていて、取材時のクラスは初級クラス。スクールが始まると、子供たちはUENさんのカウントと合図を頼りに一生懸命にステップを踏む。その眼差しは真剣そのもの。いちばん小さな子供はまだ4歳。しかし、その踊りっぷりは自信に溢れ、堂々としている。ダンスを通じて学べるのは踊り方や技術だけではなく、チャレンジする姿勢と工夫し、創造する力。身を以てそれを体験し、実現してきたUENさんの教えは、子供たちに自然と伝わっているように感じた。





UEN(ユエン)

ダンスインストラクター、KSSヨガスクール認定ヨガ講師。ブレイキンチームの甲斐天蹴/YamaNastyのメンバーとして活動。個人としてはダンスバトルをメインに数々の大会で優勝実績を持つ。「UK B-BOY CHAMPIONSHIPS」や「DANCE@LIVE」等、全国規模の大会で好成績を残し、BTSシアトルにて優勝するなど海外でも結果を残している。現在、県内各地のダンススクール、スポーツジム、コミュニティセンターでヨガとダンスの指導を行い、後進の育成にも力を注いでいる。

254回の閲覧

LATEST POST

これまでの記事

BSW_LOGO.png
  • Instagram
  • ブラックFacebookのアイコン
  • ブラックTwitterのアイコン
BSW_LOGO.png
  • Instagram
  • ブラックFacebookのアイコン
  • ブラックTwitterのアイコン
BSW_SYMBOL.png